ベッドで寝ている女の子:「おばあちゃん。今日はどんなお話してくれるの?」

ユリ椅子で編み物をしているおばあちゃん:「そうだねぇ・・・じゃあ今日は<ジャッキー・チェンが童貞っぽい>って言う話をしようかねぇ?」

ベッドで寝ている女の子:「わあ!!聞かせて聞かせて!!」


ジャッキー・チェン
言わずと知れた香港アクション映画界のスターだ。
いや、今やハリウッド・スターと言っていい。
いつもニコニコしているが、彼はとても苦労人だ。
しかし私はここで、<いかにジャッキーが苦労人だったか?>なんて言うコトを書く気などさらさらない。
なぜなら男の価値というモノは<過去どういう奴だったか?ではなく、今どういう奴か?で決まるもんだと思っているからだ。(島本和彦の受け売り)
もしジャッキーの過去が知りたいという人がいるなら<七小福>という映画がお薦めだ。
ジャッキーの幼少時代を描いた隠れた名作です。
たぶん泣くかもしれないよ。
んで、そんなイロイロあったジャッキーだが、イロイロあったが故に彼は優しすぎる。
というか、人を楽しませようとする<サービス精神が旺盛すぎる>のだ。
それは、彼の映画を見た人なら良く解ると思う。
小難しいコトなんか一切排除したストーリー作り。
彼からするとそれはもう、
「映画を観てる人に人生の足しになるメッセージを伝える?え?なんでそんなコトすんの?」
と言わんばかりだ。
彼の作品の中で出てくる<挫折>や<恋愛>や<友人の死>とかいったものは作品の<スパイス>であって決して<肝>ではない。
彼の作品の<肝>は、
<笑い>と<アクション>。
このたった2点のみだ。
だから彼の映画を見終わった後
「・・・うすっぺらい」
と感じるのもしかたがない。
まずジャッキー映画には、映画には不可欠な恋愛というモノが一切無い。
言ってみりゃ、この恋愛さえ押さえときゃ物語に<深み>が出るものだ。
だが、ジャッキーはそんな辛気臭いものは極力排除する。
だってその分笑いとアクションシーンがおざなりになってしまうからだ。
逆に言うと恋愛シーンはジャッキー的には<おざなっていい>部分なのだ。
ジャッキーにとって女性というものは、
笑いとおもしろいアクションシーンのタメに存在する。
それ以上それ以下でもないのだ。
では彼の映画の中の女性の役割について説明しよう。
1ジャッキーがわがままな女に振り回される。<笑いの部分>

2好きな女の子のピンチ。<アクションの部分>

3ジャッキーが女の子にあらぬ誤解を受ける<笑いの部分>
以上。
だいたいこんなモン。
で、だいたいジャッキー映画に出でくる女の子はカリカリしてる子か弱々しい子かのどっちか。平たく言うとカリカリしてる方が笑い担当、弱々しい子がアクションの動機担当といったトコだ。
もう女の見る目が小学生レベルだ。
決して女にSEXの匂いは無い。
故に恋愛など発生するハズもないのだ。
でも私はそういうジャッキーの子供の部分が大好きだ。
女は<男の少年の心>が好きだと良く言うが、実は男はその何十倍も<男の少年の心>が好きなものなのだ。
その証拠に女の人ってジャッキー嫌いじゃない?
正確に言うとジャッキーの<少年の心=童貞の心>が受付ないんだろう。
ある種女はジャッキーのそういう<童貞っぽい>匂いをキャッチしているのかもしれない。
だがジャッキーチェンという男は一生童貞の心のまま闘いつづけるんだろうな。
ビバ!ジャッキー!