fujigelge2005-06-26

ベッドで寝ている女の子:「おばあちゃん。今日はどんなお話してくれるの?」

ユリ椅子で編み物をしているおばあちゃん:「そうだねぇ・・・じゃあ今日はトミー・フェブラリー6はプロレスラーって言う話をしようかねぇ?」

ベッドで寝ている女の子:「わあ!!聞かせて聞かせて!!」


トミー・フェブラリー6と言うアーティストをみなさんはご存知だろうか?
たぶん知ってる人は結構いるに違いない。
彼女はブリリアントグリーンのボーカルで、本名は川瀬智子
もう言わずと知れたと言うか、今更そんな紹介必要ねぇよと言うところか。
では、彼女がプロレスラーだったと言えばどうだろうか?
たぶんこう言うとピンとこないと思う。
しかしトミー・フェブラリー6と言う女はれっきとしたプロレスラーなのである。(言い切った)
いきなりこんなコトを言うと混乱すると思うので、少しずつ噛み砕いて説明していこうと思う。
ではまずその話の入り口としてプロレスラーと言う職業について説明しなければならない。
プロレスラーとは一体何なんだろうか?
大の大人がパンツ一丁でリングの上を暴れまくるだけの職業なのだろうか?
その答えはである。
プロレスラーとは舞台(リング)の上で夢の戦いを繰り広げる表現者なのだ。
夢の戦いを繰り広げると言う表現もいまいちピンとこない人にもう少し分かりやすく説明しよう。
そもそも人間が勝つか負けるかの真剣勝負の状況に立たされると、まずコブラツイスト卍固めと言う技は極まらない。
そして人間が勝つか負けるかの真剣勝負の最中に覆面と言うモノは被らないし、自分のコトを獣神サンダーライガーと言うふざけた名前など名乗らないだろう。
だって獣(けもの)神(かみ)ですよ?
そしてもし自分のプライドを賭けて鬼気迫るオーラを放ち、これから真剣勝負を決すると言う感じの男の前で、対戦相手がリング上で覆面を被って自分のコトをえべっさんと名乗った奴がいたとしたら、間違いなくそのえべっさんと名乗る男は客席から非難轟々の嵐を受けるだろう。
しかしプロレスと言うモノは、何故かそれが許される空気に満ちている。
例えば武藤敬司と言うプロレスの天才と言われる男が、過去アメリカに遠征に行ったトキ、ニンジャっぽい格好で自分の顔をペインティングして、自分のコトをグレート・ムタと名乗ったコトがあった。
そしてその正体でもある武藤敬司はインタビューでグレート・ムタと言う存在についてこう答えた。
グレート・ムタは俺のもう1人の人格で別人なんだよ
と。
もう1人の人格?
別人?
とても大の大人の発言とは思われない。
しかし、インタビューしている記者はその発言を聞き、眉1つ動かさずペンを走らせる。
そしてそんな全てを許される世界では、普通にしててもかけ難いコブラツイスト卍固めなども、いとも簡単にかけられると言う不思議な戦いを繰り広げられるコトが出来るのだ。
このようにプロレスとは全てを許される夢の舞台なのだ。
この全てを許される夢の舞台でも反則と言うモノもある。
しかし5秒間は反則をしてもいいのだ。
これを言い換えれば落ちた食い物も3秒間の間に食べればセーフの世界である。
本当に子供が考えたようなルールだ。
プライドとかそう言うバーリトゥードを売りにしたガチンコと言われるモノよりも、ある意味何でもアリの世界である。
しかし、こう言う全てを許された世界はプロレスだけではない。
私は音楽の世界や、芸能界の世界でもなんでもアリだと思っている。
だいたいアイドルと言う職業1つ取ってもプロレスである。
例えば、とてもカワイイアイドルの娘が良く
「え〜私キスなんてしたコトありませ〜ん」
とか言うが、これ等はとてもプロレス的な答えである。
アイドルになるぐらいのルックスの娘がこの答えをガチンコで言っていないと思うのが、冷静な大人の当たり前の思考だ。
「なんでロープに振って返って来るんだよ」
と同じ冷静な思考である。
しかしそれらの突っ込みをしたくなる気持ちは分かるが、それを言っちゃあお終いなのだ
そしてアイドルが着る衣装にしても、今いくよくるよの衣装?とすら思わせる不思議なコスチュームである。
もしあんなカッコで外をフラついたなら確実に頭のイっちゃってる人である。
しかし、アイドルと言う世界も何でもアリの夢の舞台だからそれらはOKなのだ。
だからアイドル達が
「え〜キスなんてしたコトありませ〜ん」
と言う答えも、受け手はそういうモンだと、さっきの武藤敬司にインタビューをした記者のように眉1つ動かさずに受け止めなければいけないのである。
ここで決して疑ってはいけない
ディズニーランドのミ○キーは1人しかいないぐらいの心構えで受け取らなくては、夢の世界と言うのは楽しめないように出来ているのだ。
そしてそんな夢の世界(アイドルの世界)に半ば強引に現れたアーティストがトミー・フェブラリー6なのである。
彼女を初めて見たのはCDTVスペシャルライブだったと思う。
そのライブで彼女は90年代アイドル?と思わせるユーロナンバー調の曲とともに、颯爽と現れた。
しかもその姿は、メガネをかけて服装もアメリカンスクールの娘?と言う格好。
そしてトミーとバックダンサーのポンポンを持ったチアガールが、一緒にアイドルのような振り付けで歌い踊ったのだ。
そのトキの客の反応は、もう20もとうに越えた女のフェミニンな世界について来れず、おもしろいくらいのドン引き
これがトミーの初舞台の冷静な大人の視線の洗礼だった。
つまりこれはどう言うコトかと言うと、彼女はバーリトゥードのリング(CDTVライブの豪華な面子の舞台の上)で覆面(メガネ)を被り、奇抜なコスチューム(制服)でトップロープの上からウラカン・ラナ*1(EVERYDAY AT THE BUS STOP*2)と言うプロレスを仕掛けたのである。
私はこの瞬間
コイツはルチャドール*3だ!!
と興奮したものだ。
なんせその歌詞が

振り向いて 昨日よりも
気が付いて 明日はもっと
今日も大好き やっぱり
my feeling 愛してる

だ。
もう1度言うが、20をとうに過ぎた女から出てくる言葉ではない。
そしてこのデビュー戦以降も、トミー・フェブラリー6はPVも半端の無い徹底したアイドル仕上げにしていき、キキとララや、ピカチューなどを従えたりし、益々キャラを固めていった。
そんなメキシコ遠征から帰って来たプロレスラーのような彼女も、トミー・フェブラリー6として活動していくうちに、だんだん一人歩きするキャラに不安を覚え始める。
それはそうだろう。
彼女にはブリリアントグリーンと言うバーリトゥードの選手としての仕事もあるからだ。
ブリリアントグリーンの川瀬智子として、あるインタビューでその悩みは語られていた。
「最初はシャレで始めたんだけど、だんだんシャレにならなくなってきた
と。
ここでもう1度武藤敬司の言葉を思い出して戴きたい。
グレート・ムタは俺のもう1人の人格で別人なんだよ
まさにトミー・フェブラリーと言う人格は本人を侵食していったのだ。
つまり
武藤敬司川瀬智子
グレート・ムタトミー・フェブラリー6
と言うコトだ。
しかし、武藤はムタにならずとも元々その本分はプロレスラーなのでこのキャラ分けは成立する。
だが、川瀬智子の本分はバーリトゥードの選手で、トミーはプロレスラー。
このキャラ分けはとても危険なキャラ分けなのだ。
何故ならバーリトゥードの選手がプロレスをやれば、バーリトゥードで活躍していた川瀬智子を応援していた人達が冷めるからだ。
思わぬ葛藤を抱え込んだトミーは、この後自分がアイドルをプロデュースしたいと言うようになる。
つまりこのトミーと言うキャラに本人は疲れてきたと言う意味だ。
自分のプロレスラーとしての才能を、誰かに受け継いで欲しいと言った感じである。
なんと彼女は今度はカール・ゴッチ*4になりたいと言うのだ。(言ってねぇよ)
このようにトミー・フェブラリー6と言う生き方はプロレスラーそのものだ。
最近トミーと言うキャラは精彩を欠いているようだが、これからも頑張って欲しいものだ。
私はそんなレスラートミー・フェブラリー6をこよなく愛している。
戦え!!トミー!!!
負けるな!!川瀬!!!
ビバ!!トミー・フェブラリー6!!!

*1:プロレスの技

*2:デビュー曲

*3:空中殺法やトリッキーな技を主体にするメキシコの覆面レスラーをこう呼ぶ

*4:前田日明や藤原組長に正しい関節技やスープレックスを教えたプロレスの神様