愛と執着の果て

よく考えてみると<日誌>って言っときながら、「日誌の形態とってねぇじゃん。」って思った。もう日記でもねぇよ。
まぁ自分の日常って、おもいっきりつまんねぇしな。もうどうでもいいや。


で、突然だが、ここ何年たまに<愛>って言われるものと<執着>ってどう違うんだ?って思うことがある。
簡単に言うと<愛>は<良いモン>で<執着>は<悪モン>って言うコトでしょ?
でもその線引きって分からない。
私の持っている大辞林では、
[愛]
1「対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。」
2「相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。」
3「異性に対して抱く思慕の情。恋。」
4「何事にまして、大切にしたいと思う気持ち。」
5「人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛。」
で、次
[執着]
1「ある物事に強く心が引かれること。心がとらわれて、思い切れないこと。」
以上である。
要するに<愛>と呼べるモノの方が<執着>よりクリアする条件が多いということか?
でもこういうの自覚しにくいから良くわからない。たいがいの人って「オレのこの気持ちは執着だ!」なんて思わないでしょ?
映画のタイトルでも
「執着と青春の旅立ち」とか、
「世界の中心で執着をさけぶ」
っていう風にしたら客なんて入んないもんな。
歌のタイトルも
「執着は勝つ」とか、
「あのすばらしい執着をもういちど」
っていう風にしたら「買わねぇよ。」って感じになるでしょ?
でも[愛]の5の項目に「人や物にとらわれ、<執着>すること。むさぼり求めること。」っておもいっきり<執着>って書いてるから間違いでもないような気もするしなぁ。(むさぼり求めるって言うのもすごいな)
まぁつまり対象の相手もそういう気持ちなら<愛>は成立するもので、一方的なら<執着>ってことなんだろうな。(決着)
でも、気づかないうちにどっちかが<執着>のポジションとってる可能性だってあるから難しい。で、なかなか自分が<執着>してるって気づかないからいろいろモメたりするんだろうな。ストーカーだとか。

執着+執着=愛
執着×執着=ラブラブ

みたいな?(ここ笑うトコですよ。奥さん。)

なかなか微動だにしない天秤ってないもんだ。